すずのまほうつかい

歪んで捻れた思考過程

6月21日と6月22日の食事

6月21日

朝:玄米、味噌汁、納豆

昼:パン、シチュー、サラダ、オレンジ

夜:パック寿司

6月22日

朝:青汁、冷奴、豆腐

昼:白米、味噌汁、卵、肉じゃがモドキ

夜:サラダ、枝豆

6月20日 食事

【朝】

玄米、味噌汁、納豆、梅干し

【昼】

白米、麻婆茄子、味噌汁、魚の天ぷら

【夜】

玄米、味噌汁、キャベツ、冷奴

昼は基本的に社食。

梅干しは祖母からもらった。

6月19日 食事

【朝】

玄米、納豆、味噌汁、キャベツ

【昼】

白米、味噌汁、金平、肉味噌豆腐

【夜】

玄米、味噌汁、キャベツ、冷奴

豆腐が好き。

過食防止のために記録

・玄米

・納豆

・味噌汁

・キャベツ

・玄米

・麻婆豆腐

・味噌汁

・玄米

・味噌汁

・納豆

久しぶりに味噌汁を作った。

死にたみが募る

深呼吸と同じような感じで「死にたい」と思う。

仕事をしていると、「私の存在など忘れてほしい」という思いが募る。

 

「期待しています」と言われるのはとても苦しい。

期待に応えられないから。

時間をかければマシにはなる。

でもマシになるまではどうしたって相手に迷惑をかける。

「大丈夫」と言われても、私にとってはちっとも大丈夫ではない。

死にたくなる。消えたくなる。

期待に応えられない自分を殺したくなる。

 

顔色を伺って生きる日々。

悪く思われているのではないかという思いが常にあるから、

バカを演じて、鈍い人間になりすまして。

ヘラヘラ笑う私、死ねよ。

PIERROT

演じる。

私にとって生きることとは、役を演じること。

ふわふわと微笑む柔和な人物、理路整然と論じる人物、好奇心旺盛な人物…他にもたくさん。

「素の私」があるわけでもない、継ぎ接ぎの私。

そもそも、「素」が何か分からない。

だって、どの役を演じるときも、決して偽ってなどいないんだもの。

演じることと、偽ることは、ベツモノ…少なくとも、私にとっては。

ところで、どうして大多数の人々は、生まれる子が健常児だと信じて疑わないのだろう。

自分の子どもが障害児でありますように、なんて願う人はいない。

私だって同じ。

だからこそ、嫌なの。

身籠った人に集る人々の会話が。

その会話は「親」になれた人々の特権。

私は「好奇心旺盛に未来を夢見る若人」という役を演じ、相槌を打つ。

微笑んでいるのに

温かな心地なのに

どうしてこんな気持ちになるの

なぜか、何か、私の中の何かが、痛む。

どうしてなの?