すずのまほうつかい

歪んで捻れた思考過程

「普通」って、何ですか。

Twitter で、某新興宗教信者の家庭に育った子どもの話を見た。

あの言葉と表情で追い詰めて、周りと隔絶させて、自分の認めた世界の中でしか生きさせないの、まさしく私の毒母と同じ。

周りが可愛い服を着ているのを「あんな服を着させる親は頭がおかしい」と断罪し、

観るテレビも、聴く音楽も、私には選ぶ権利がなく。

放課後に友達の家へ遊びに行くことも、許されず。

直接的に禁じたりはしない。

代わりに、言うのだ。

「あんなものを欲しがるなんて」

「周りに流されてばかり」

「自分のことしか考えない」

「アンタが遊んでいる間に〇〇(兄弟姉妹)はちゃんと家の手伝いをしてくれたから助かった」

「アンタは人の気持ちが分からない」

何度、言われただろう。

じわり、じわり。

私の心を痛めつける。

暴言を吐かれた方が、まだマシ。

殴られた方が、まだマシ。

小学生の頃、「障害のない人」をどう表現すべきか分からず、「普通の人」と表現したら、やはり言われた。

「お前は障害があったら普通じゃないと思っているのか」

「□□(障害のある兄弟姉妹)のことも普通じゃないって思っているのか」

「お前は人の気持ちが分からない」

私を聞こえよがしに断罪し、異常なのは私だと。

何が異常で何が普通か分からない。

脳内で繰り返し響く毒母の声に、私は投げつける。

「頭おかしいのはテメエなんだよ! クソが!! 死ね!!!」

それでも脳内の声は、毒母の声は、なかなか消えない。

しつこくしつこく、まとわりつく。

あなたの その手が 好きです

私は自分の手が嫌い。

一年中、クリームを塗っているのに、ガサガサ。

小学校高学年の頃から、ずっとガサガサ。

中学生のとき、ふと見た友達の手。

すべすべの手。

他の子の手も、同じ。

ガサガサなのは、私だけ。

なんで?

どうして?

どうして私の手はガサガサなの?

洗い物をしていたら、ひび割れた手に、水が滲みた。

そして、気付いた。

ああ、これのせいか。

そしてまた不意に、脳裏を過る。

真冬に外の水道で虫籠を洗い続け、自分への「罰」としてひたすら冷たい水に両手を浸し続けた場面が。

自分を罰することを覚えたのは、小学生の頃。

自分の体をつねったり、拳や物で自分の頭を殴ったり。

毒母からの精神的虐待によって心が痛むのを、物理的な痛みで紛らせたかった。

或いは、自分で自分を罰することで、少しでも「罪」を償おうとしていたのかもしれない。

今でも私は、私の手が嫌いだ。

ぼくにもそのあいをください

「愛」って、なんだろう。

 

子どもを愛さない親はいないと、みんな言う。

だけどその「愛」とやらが歪んだものだったとしたら?

 

「愛」だったら、子どもを支配していいの?

子どもを自分の所有物にすることが、「愛」なの?

 

そうだとしたら、私は、「愛」なんか嫌いだ。

 

本当の愛が知りたいよ。

それがこの世に存在するのなら。

育ち

親が毒だと気付いたのは、大学に入ってから。

親に吹き込まれる知識ではなく、自分で取り入れた知識が多くなってから。

Twitterで、多くのきょうだい達や、機能不全家族育ちの人たちと出会ってから。

 

毒を毒だと知らずに、毎日毎日呑まされていたような私は、心身共に毒に汚染されていたようなもの。

今の私は、解毒の真っ只中。

 

 

お初にお目にかかります。

はじめまして。

すず といいます。

ちょっと難しい育ち方をしたせいか、思考が乱れがちです。

文字で書くことが、一番自分の気持ちを上手に表現できる気がします。

 

よろしくおねがいいたします_(._.)_