すずのまほうつかい

歪んで捻れた思考過程

PIERROT

演じる。

私にとって生きることとは、役を演じること。

ふわふわと微笑む柔和な人物、理路整然と論じる人物、好奇心旺盛な人物…他にもたくさん。

「素の私」があるわけでもない、継ぎ接ぎの私。

そもそも、「素」が何か分からない。

だって、どの役を演じるときも、決して偽ってなどいないんだもの。

演じることと、偽ることは、ベツモノ…少なくとも、私にとっては。

ところで、どうして大多数の人々は、生まれる子が健常児だと信じて疑わないのだろう。

自分の子どもが障害児でありますように、なんて願う人はいない。

私だって同じ。

だからこそ、嫌なの。

身籠った人に集る人々の会話が。

その会話は「親」になれた人々の特権。

私は「好奇心旺盛に未来を夢見る若人」という役を演じ、相槌を打つ。

微笑んでいるのに

温かな心地なのに

どうしてこんな気持ちになるの

なぜか、何か、私の中の何かが、痛む。

どうしてなの?

馬鹿が親になる不幸せ

常に「良い子」でいたい。

「良い子」でなければ存在価値が無いから。

それでも私は毒親の望む「良い子」ではなく、罵倒され、存在を無視され、大切にしているものを嘲笑われた。

大学も仕事も、私の成功は全て「運の良さ」と片付けられる。

そうかと思えば、私の知らないところで「自慢の娘」と言っている。

「自慢の娘」に育てた自分達を褒めてほしいだけ。

そんな自慢話を聞かされた方は迷惑としか思わないだろうに。

ただの馬鹿。

お前に何が分かる

何もかも、締め殺したい。

 

恋人は、私に言う。

「怒っても仕方ないんだから、怒るな」と。

 

恋人の言葉はブレーキになることが多い私だけれど、これ関しては、心が拒絶する。

 

お前に何が分かる、と。

 

 

きょうだい児でもないお前に、何が分かる。

 

 

分かったようなことを言うんじゃねえよ。

 

 

私の怒りが、哀しみ故だなんて、誰も知らないのよ。

 

 

私の憎しみ。

 

 

どんどん膨らむ。

どうせみんな他人事なんでしょ?

障害児とともに育つということ。

兄弟姉妹に障害があるということ。

それが、きょうだいにとってどれほど枷となっているか。

障害のある兄弟姉妹がいない人間たちのなかで、それを考えたことのある人はいるのだろうか。

 

障害児の親の気持ちは考えても、

きょうだい児の気持ちなんて、誰もきちんと考えない。

「将来は親の代わりに面倒をみる人間」と平気で考えているやつだっている。

・・・ころしたくなる。

 

養護学校に入れるのはかわいそう」

特別支援学級になんか入れたらきょうだいがいじめられる」

 

そんなの、親のエゴを隠すための身勝手な言い訳だ。

 

親なんて、どうせ先に死ぬじゃないか。

 

障害児が死ぬか自分が死ぬかしないと解放されないのが、きょうだいだ。

 

そんなこと、世間一般のひとびとは考えもしない。

 

きちんとしつけをされず

きちんと働くこともできず

生きているだけの兄弟姉妹なんて

要らない。

現実の醜さを知らず、「あなたは自分の人生を歩めばい」などと簡単に言う偽善者なんか、みんな残らず消えてしまえ。

 

おまえが代わりにこいつの後見人になって死ぬまで責任もてよ。

そんなこともできないくせに。

知りもしないくせに。

善意だけふりかざしやがって。

 

ふざけるな。

苦痛

兄弟姉妹に情が湧かないわけではない。

だけど、兄弟姉妹の傍に親達の姿があるのは耐え難い苦痛。

だから私は兄弟姉妹とも距離を置く。

今はまだ無理。

荒療治…つまりは治療中の今は、親達の姿を見るだけでも苦痛だから。

親達から離れ、数年経ってようやく、私は私を治すことを始められた。

今はまだ、治療が始まったばかり。

「普通」って、何ですか。

Twitter で、某新興宗教信者の家庭に育った子どもの話を見た。

あの言葉と表情で追い詰めて、周りと隔絶させて、自分の認めた世界の中でしか生きさせないの、まさしく私の毒母と同じ。

周りが可愛い服を着ているのを「あんな服を着させる親は頭がおかしい」と断罪し、

観るテレビも、聴く音楽も、私には選ぶ権利がなく。

放課後に友達の家へ遊びに行くことも、許されず。

直接的に禁じたりはしない。

代わりに、言うのだ。

「あんなものを欲しがるなんて」

「周りに流されてばかり」

「自分のことしか考えない」

「アンタが遊んでいる間に〇〇(兄弟姉妹)はちゃんと家の手伝いをしてくれたから助かった」

「アンタは人の気持ちが分からない」

何度、言われただろう。

じわり、じわり。

私の心を痛めつける。

暴言を吐かれた方が、まだマシ。

殴られた方が、まだマシ。

小学生の頃、「障害のない人」をどう表現すべきか分からず、「普通の人」と表現したら、やはり言われた。

「お前は障害があったら普通じゃないと思っているのか」

「□□(障害のある兄弟姉妹)のことも普通じゃないって思っているのか」

「お前は人の気持ちが分からない」

私を聞こえよがしに断罪し、異常なのは私だと。

何が異常で何が普通か分からない。

脳内で繰り返し響く毒母の声に、私は投げつける。

「頭おかしいのはテメエなんだよ! クソが!! 死ね!!!」

それでも脳内の声は、毒母の声は、なかなか消えない。

しつこくしつこく、まとわりつく。

あなたの その手が 好きです

私は自分の手が嫌い。

一年中、クリームを塗っているのに、ガサガサ。

小学校高学年の頃から、ずっとガサガサ。

中学生のとき、ふと見た友達の手。

すべすべの手。

他の子の手も、同じ。

ガサガサなのは、私だけ。

なんで?

どうして?

どうして私の手はガサガサなの?

洗い物をしていたら、ひび割れた手に、水が滲みた。

そして、気付いた。

ああ、これのせいか。

そしてまた不意に、脳裏を過る。

真冬に外の水道で虫籠を洗い続け、自分への「罰」としてひたすら冷たい水に両手を浸し続けた場面が。

自分を罰することを覚えたのは、小学生の頃。

自分の体をつねったり、拳や物で自分の頭を殴ったり。

毒母からの精神的虐待によって心が痛むのを、物理的な痛みで紛らせたかった。

或いは、自分で自分を罰することで、少しでも「罪」を償おうとしていたのかもしれない。

今でも私は、私の手が嫌いだ。